難行癒す2千mの別天地。広大な湿原と池塘群、天狗ノ庭に姿を映す百名山
火打山 2462m 2016年7月29日(金)〜30日(土)
山行2日目の午前7時50分、頸城山塊、新潟県の最高峰である火打山の山頂に立った。
高度差1200mを何とか乗り越えての、その顛末記である。
東京駅、上野駅から朝1番の北陸新幹線に乗り込み、長野駅からしなの鉄道に乗り換え、まだ人の動きが活発になっていない妙高高原駅に8時半に到着した。直行バスに揺られてほぼ1時間。10時半には登山口の笹ヶ峰から歩き始めることができた。
目指す火打山は、お隣の妙高山と並び称される新潟県を代表する大きな山だ。男性的な妙高、女性的な火打ともいわれ、高山植物の宝庫として有名だ。静かにしっとりと、悠然と聳え立つ。
笹ヶ峰からの山道は、植生を守るため、木道が多く設置されている。ブナの林を通り抜け、雪解けの渓流の流れを聞き、黒沢橋を渡ると、名にし負う急登の連続、十二曲にさしかかる。ごつごつした岩が道をふさぎ、樹木の根っこが足をからめ取ろうとするばかりに這う。優に畳一畳分ほどもある岩をいくつも越えて標高をあげていく。先ほど来、後ろで聞こえてきた会話も途切れがちになり、みな足の運びに神経を集中しているようだ。途中、多くの中学生が次々と下山してくるのに出会う。聞けば、新潟県長岡市の「ナンチュウ」の生徒とのこと。登り始めて3時間余。やがてブナ林がダケカンバやシラビソに変わり始めるころ、富士見平に出る。ここにもたくさんの「ナンチュウ」の男女生徒が休憩していた。
後で調べてみたら、新潟県長岡市の中心部にある南中学校の生徒で、全員で火打山の登頂を果たしての帰りだったことがわかった=写真右=。
学校のHPには、現地からのリアル報告もブログで配信されていた。
(1)「午前3:30に起床し、予定通り4:20に生徒138名と引率職員・保護者ボランティアが火打山登山を開始しました。」(7月29日)
(2)「高谷池を出発し、いよいよ火打山頂上に向けてアタックを開始。」(7月29日)
(3)「16:20、前半隊の3、4組がキャンプ場に帰ってきました。12時間にも及ぶ長い道のりでしたが、表情には疲労だけでなく充実感がうかがえます。1、2組もあと少し。頑張れ!」(7月29日)
(4)「二泊三日のキャンプを終え、だれ一人欠けることなく、学校に帰ってきました。二日前に出発式を行った同じグラウンドでの解散式。わずか二日ですが、二日前とは何かが違う生徒たちがそこにいました。一生記憶に残る充実した行事でした。」(7月30日)
我々も負けてはいられない。
富士見平で一休みをして、途中の岩ゴロゴロの歩きにくい山道を息切らせながら登る。黒沢岳を回り込みながら、スタートから4時間半。本日の宿である高谷池ヒュッテにようやく到着した。夕食までの時間を利用して、高原のさわやかな風がそよぐヒュッテのテラスで、早速、明日の作戦会議だ。火打の山並み、湿原の穏やかな風景を見ながら、ピッチも上がる。
翌日は午前5時半に朝食。6時過ぎには、ヒュッテを飛び出し、目指す火打にアタックだ。途中、これからのハードな登りに備えて、優しく包みこんでくれる湿原、池塘、そこに咲き競う可憐な花に、しばし憩う。天狗の庭の先には「逆さ火打」=写真左=が映しこまれている。
ライチョウ平を出ると、いよいよ急坂だ。足元のササの切り跡を踏みわけ進むが、これがとても歩きにくい。どんどん高度を上げ、ところどころの樹林の中から、登ってきたルートを振り返る。向こうには、湿原が広がり、その先には高谷池ヒュッテも見える。目を転じて火打山を望むと、山頂はガスの中に見え隠れしている。火打山のすぐ先には噴煙を上げる焼山が見える。焼山は昨年来噴煙が確認されたため、入山規制措置が取られた山だ。
ハイマツ帯を抜け、お花畑を過ぎ、辛抱強く樹林の中を登り続けると、いきなり明るい空が開けた。ヒュッテから2時間、予定より早く山頂に達することができた。山頂付近は残念ながらガスに覆われていて、四囲の山並みは見えないが、どっしりとした百名山の風格を感じさせる山だ。
山頂には10分ほど滞在し、下山にかかる。高谷池ヒュッテに戻り、少し早いが昼食を済ませる。昼食はヒュッテの昼食弁当、赤飯のおこわのレトルトだが、なかなか行ける味だ。
ひと休みして、本格的な下山開始だ。富士見平、十二曲、黒沢橋と、登りと同じルートを、ただひたすら下る。相変わらずの大きな岩に苦労する。踏みはずさないよう、慎重に足を運ぶが、富士見平を過ぎたころ、心配していた雨がポツリポツリと降り始める。何とか持つだろうと思ったのもつかの間、天候が急変。突然雨滴が大粒となり、しまいにはスコール並みの猛烈な大雨に10分間ほどさらされた。
下が岩ゴロゴロの山道であるため、雨だけは避けたいと思っていただけに、この時ならぬ大雨には難渋した。それでも、一行は、悪天候を耐え忍び、滑りやすくなった岩に気をつけて下り続けた。途中から天気が回復し、雨具を脱ぎ、いつも通りの軽口も出始めるころ、山道の標識は十二曲から黒沢橋へと変わり、ほぼ当初の予定通りの午後2時には笹ヶ峰に戻ることができた。
笹ヶ峰から妙高高原駅までのバスを途中下車し、杉野沢温泉苗名の湯で汗を流した後、一路、帰京の途についた。
「ナンチュウ」の生徒同様、2日目前とは何かが違うメンバーたちがそこにいたのか、やはり同じだったのか?(G)
コース記録
7月29日(金)
東京発6:16=(新幹線かがやき501号。上野乗車6:22発)=7:38長野乗換(しなの鉄道しなの線妙高高原行)7:46=8:30妙高高原9:20=(直行バス)=10:10笹ヶ峰
笹ヶ峰出発10:30⇒11:25黒沢⇒11:40十二曲⇒13:20富士見平⇒14:45高谷池ヒュッテ(宿泊)
7月30日(土)
5:30朝食 6:05ヒュッテ出発⇒7:05ライチョウ平⇒7:50火打山8:00⇒9:45高谷池ヒュッテ10:10⇒11:10富士見平⇒14:00笹ヶ峰
笹ヶ峰15:45=(直行バス)=16:20杉野沢温泉17:19=(市営バス)=17:35妙高高原駅
妙高高原発17:59=(しなの鉄道長野行)=18:44長野乗換18:59=(新幹線かがやき512号東京行)=20:24東京(上野着20:18) 解散