憧れの涸沢カールを抜けて豪快な3000mの頂へ
北穂高岳 3106m 2019年7月24日(水)〜26日(金)
穂高連峰は奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳、前穂高岳、西穂高岳、明神岳などの山々がある。今回の山行は上高地から横尾、涸沢を経て北穂高岳に登る最も難易度の低い(?)ルートです。
1日目(7月24日):バスタ新宿を定刻通りに出発したさわやか信州号は途中2回の休憩を経て、定刻より10分強遅れて上高地バスターミナルに到着した。帰りの松本への切符購入と予約整理券を入手。整理券は16:00発のバスにするか1時間後のバスにするか迷ったが、結局計画通りの16時発のバスとした。これが最終日にチョット影響が…。バスターミナルで出発準備を整え、平日の河童橋で穂高連峰を背に写真を撮った後、明神、徳沢を経て、横尾山荘へ。宿泊手続きを済ませ、すぐにお風呂で汗を流した。夕食までのひと時を外のベンチで持ち寄ったアルコール(日本酒、焼酎、ウイスキー)で山鳩をさかなに明日への鋭気を養った。ただ、全て飲んでしまい、明日は山頂小屋でビール三昧か…。部屋は左右に2列2段で8人の個室、我々のほかに山形から来られた2人連れが同室となった。奥穂高岳に登るらしい。
2日目(7月25日):涸沢から一気に北穂高岳まで登る体力勝負の一日だ。横尾大橋を渡り、平坦な道を小鳥のさえずり、シラビソの樹林帯、川のせせらぎを聞きながら本谷橋に向う。(ルンルン) 本谷橋からはしばらく急登が続き、やや息が上がる。涸沢手前に雪渓が残っており踏み跡をたどって進む。途中、山荘で同室の2人連れと何回か遭遇した。涸沢ヒュッテで休憩、カールの雪渓越しに北穂・涸沢・奥穂・前穂高岳の山並みを見上げる。涸沢小屋の脇を通り、いよいよ北穂高岳に向かって登り始める。南陵取付きまでは高山植物を見ながらきつい登りを進む。(ハーハー) 長いクサリ場とハシゴで岩壁を越えると展望が開ける。南陵の取付きだ。見上げれば北穂の南峰が高い。岩稜や岩場のトラバースが続き気が抜けない。(ゼーゼー) 涸沢岳方面への分岐を過ぎると登山道に一部雪渓が残っておりちょっと緊張が走る。ここで太ももが…(ピクピク) しばらくの急登でいきなり山頂に躍り出た。早速宿泊手続きを済ませて、小屋前のテラスでくつろぐ。受付嬢も売店の女性も愛想がよく心地よい。ビールもついつい追加して結構散財してしまった。槍ヶ岳はガスの中、明朝に期待だ。滝谷を覗き込むと胸キュンだ。ヘリが来るのとの案内があり、暫らくすると小屋の頭上に物資を積んだヘリがいきなり現れた。風圧がすごい。運んできた荷物を降ろした後、すぐに小屋からの荷物を積んで瞬く間に飛び立った。小屋のスタッフ総出で荷物の搬入/搬出作業で慌ただしい。しばらくの間、受付も売店も閉鎖された。部屋は平日だったこともあり、8人部屋を6人で泊まることになり前日に次いでゆっくり寝ることができた。
3日目(7月26日):山頂から上高地まで標高差1,570mの長い下りだ。前日夜に降った雨も上がり、夜明け前にはガスもなく、常念岳の近くからご来光を拝めた。本当に360度の展望だ。大キレット、槍ヶ岳、前穂、奥穂、涸沢岳、笠、常念、…。小屋前で写真を撮り、売店のスタッフに別れを告げ、下山を開始する。山頂直下の雪渓を慎重に通過、次々に現れる岩場を黙々と降りていく。南陵の取付けではハシゴやクサリ場で登ってくる登山者をやり過ごして慎重に通過する。ここから涸沢までは延々と下りが続く。涸沢で大休憩するもかなり疲労が蓄積しているようだ。涸沢直下の雪渓下りは滑りやすくかなりの時間を要した。本谷橋到着時点でリーダ含め数名が疲労こんぱいの状態なので、昼食休憩を取った。ここで横尾山荘で同室だった2人連れとまた会った。横尾では計画より50分遅れの状況、このままだと16時発のバス予約整理券が無効になってしまう。ここから小梨平までペースを上げ、10分遅れまで取り戻した。入浴後の生ビールへの執念だろうか?…。
幸運にも梅雨と台風のハザマの天候にも恵まれた山行でした。北穂高岳からの展望は期待通りの素晴らしいものでした。特に槍ヶ岳とそこに通じる大キレットの登山道は迫力満点でした。標高差1,500mを越える岩稜の登山道はやはり厳しかった。山行翌日から歩行困難な状態になっています。
(SS)
<参加者のひと言>
★北穂高岳は思った以上、それ以上に大変な山でした。しかし3日間天気に恵まれ、これ以上ない絶景を楽しませて貰いました。
(S)
★3日で72阡歩。試練の山行でした。お陰様で、ご褒美に、山頂での眺望は素晴らしく、(最高!)と叫んでいました。メンバーの皆様、いろいろと有賀度御座居ました。
(平野)
★梅雨明けしたかを待っていたかの入山、台風6号接近前の下山と夏のアルプスの青空と可憐なイワツメクサの大歓迎で始まった令和の夏山の幸運な始まり。
南陵の取り付きのクサリと梯子をどうにかこなして一休みしていると、女性のグループが降りてきた。今朝、涸沢小屋を発ち北穂を往復して来た。北穂は百名山じゃあらへんで。3,190mの奥穂高の方だと元気な大阪弁で話して忍者の様に梯子を下って行った3人は皆70代だそうです。あっぱれ。
三千メートルの山小屋とは思えないおいしいご飯と思いがけない新鮮な野菜と豚の生姜焼きをたらふくいただいて、横になると疲れも手伝いウトウト。突然の何かの音で目が覚める薄暗い中で目の前に迫る太い板の天井、隣には坊主頭の男が横たわっている。俺、なんかやっちゃって、山奥の飯場か人足寄場に来ちゃったかな。その男の肩に恐る恐る触れると何と温和なKさんでした。寝ぼけてスイマセンでした。
(手拍子足拍子)
★『ほら、あれが吊り尾根、ジャンダルム』と聞いてもスケールの大きさは別格だが「ふーん」てのが所感だった。それが北穂高小屋の裏にまわって『これが滝谷、それが大キレット』って案内されると、谷底に吸い込まれそうで、圧倒されてしまった。 「そうか!滝谷って北穂高岳の山塊構成要因だったんだ。大キレットは、こんな手の届きそうなところにあるんだ」と初めて認識。余りの迫力に足がすくんで、とてもまともには覗き込めない。ここに辿り着くにもただならぬロケーションの連続で、とりわけ涸沢からの直登はヒュッテのデッキから見ると、まっすぐ北穂頂上に向かって直線で垂直状に延び、カラフルな点が張り付いており、それが人だと気付くのにも時間がかかった。ましてや、まさかそれを辿ることになろうとは・・。鎖場に梯子に雪渓。体力と共に一歩一歩の状況判断に神経を使い、精神力も相当に消耗した。だが雪渓にはスコップで階段状にステップを丁寧に刻み、落石の現場を速やかに通過できるように石組回廊を築き、最大限、登山者を快適に迎え入れてくれる努力が為されている。
帰路、気付いたのだが、道標には涸沢からたかだか2キロ程度の行程で標高差は800mと平均勾配は36度にも達する。事の善し悪しはともかく、「知らぬが仏」とはよく言ったもので、予備知識を持たずに臨んだ結果、過大な緊張を回避して足元に集中して登ることができた。
登りの途中、長めの鎖場と梯子を攻略するのを上で気長に待ってくれていた三人の女性とお話する機会があった。『百名山もやり終えたし、心残りの北穂を最後に少しおとなしくしようと思って・・』とのこと。まるで夕飯にもう一品オカズを買い足しに、とでも言うようにおっしゃった。そして『60には見えないでしょう?』と、のたもうた。(私には優に70台に見えるんですけどね)恐るべし“大阪のオバチャン”。
朝焼けの北穂小屋では、この先例の大キレット、長谷川ピークを越え、何座か経由して槍に向かうという単独行のヘルメット女性が出発。やたら76歳の年齢を吹聴しまくる爺さんも行くという。何事もなければ良いのだが・・。世の中にはとんでもない人種が居るらしい。
まぁ、私はじっくりと山ジジイになりたいもんだ。(ヤマジジイ)
★「ダルマさん転んだ」で、たどり着いた北穂高山頂。
鎖場の、岩壁は乾いておりピンが打ちこんであり、手がかり足掛かりとも充分。傾斜もきつい程でもなく視覚的にも安心感。ハシゴと共に難なく通過。ここで、関西から来られたという3人のお元気な高齢な?娘さんと世間話、山話をして話が盛り上がり気分転換となる。
その鎖場をやや登ると、体や足の動きに対して呼吸の量が足らないような感覚がしてくる。2動作3動作の、足の運びと手の動きで多少ふらつく感じもする。圧倒的に空気が不足してる。
手足と体の動きを止めて静止して2回3回と呼吸をする。その後、また次の2動作3動作をして、体を静止させる。............
まるで、「だるまさんが転んだ」を独り遊びしているようなものだ。
そんなこんなで、北穂高山頂の宿にたどり着きました。
(岸!)
コース記録
1日目
バスタ新宿7:15発=(さわやか信州号)=上高地バスターミナル12:15着
上高地12:45発=明神館13:50=徳沢14:50=横尾山荘15:45着(泊)
2日目
横尾山荘6:20発=7:25本谷橋7:30=9:20涸沢9:40=11:30南陵取付11:35=北穂高岳小屋13:40着(泊)
3日目
北穂高岳小屋5:45発=7:00南陵取付7:15=8:35涸沢8:50=10:25本谷橋(昼食)10:45=11:40横尾11:50=徳沢12:45=明神館13:30=14:10小梨平(入浴)15:30=上高地バスターミナル15:45着
上高地バスターミナル16:00発=17:10新島々17:22=17:52松本(夕食)19:28=(あずさ34号)=新宿22:07着(解散)
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