本邦第3位と第8位の高峰を登頂、シャンパンで祝杯
奥穂高岳 3190m 2012年8月5日−7日
(注:写真掲載は、しばしお待ち下さい)
山行2日目に横尾山荘から涸沢、ザイデングラードを経由し穂高岳山荘まで登り、軽装備で奥穂高岳へ登頂。また、2日目早朝には涸沢岳も登頂を果たした。ただ、天候があまり良い状態ではなかったため、ともに頂上で360度の眺望を得ることができず、チョット心残りな結果となった。でも、下山当日はザイデングラードの下りで快晴となり、穂高連峰の山並みや涸沢カールの素晴らしい景色を堪能できた。
さわやか信州号で新宿を7時30分に出発、中央道から長野道を経て松本ICで高速道を降り、沢渡第2駐車場で低公害バスに乗り換え、予定より少し遅れて上高地に到着。横尾山荘にこれから向かう旨の連絡を入れ、登山届けもポストに投函して河童橋方面に向けて歩きはじめる。初日はほぼ平坦な道を3時間ほどかけて上高地から横尾山荘までの道のりである。途中、下山時に立ち寄る「小梨の湯」の場所を確認し、木漏れ日の中をのんびり歩く。明神、徳沢で休憩を取りながら、16時過ぎに横尾に到着した。
山荘で荷をほどき、名物のお風呂へ入る。意外と広く、わかし湯ではあるがかなりの量で湯が流れているので汚れはほとんど目立たない。石鹸・シャンプーは使えないが、シャワーで汗を流し湯船に浸かるとさっぱりできる。1本700円のロング缶ビールで喉を潤す。至福の時だ。部屋は両側に上段下段各2名の計8名で、丁度1部屋貸切状態となりゆっくりできた。カーテンもあり、殆ど個室状態でスペースもゆったりしており、山小屋とは思えないほど快適な空間だ。尚、補足すると予約なしでも宿泊は可能だが、混雑している場合は他の山小屋同様、あらゆる空間を利用しての対応となるため、窮屈な状態を強いられることもあるとのこと。横尾山荘に関しては予約が鉄則のようである。夕食後は部屋に戻り、持ち寄ったウイスキーで明日からの山行に備えて鋭気を養った。外に出て星空を眺め、ほてった体をさまし、早々に就寝。
2日目は4時起床、4時30分に朝食の順番待ちに並び5時から朝食、5時50分には小屋を後にした。出発前にポツリポツリと雨が降ってきて、雨具を着けてのスタート。本谷橋までは順調に進み、ここからいきなりの急登が始まる。ひと汗かいた頃、急登も弛み少しずつ高度を稼ぎながら涸沢に向かう。涸沢のテント広場で雄大な穂高連峰を眺めながら、昼食休憩をとる。尚、O氏は本谷橋からの急登で体調を崩し、ザイデングラードの登りを考慮して涸沢小屋で待機することになった。又、S氏は予定を変更して、奥穂高岳ではなく北穂高岳に向うことになり、穂高岳山荘に向かったのは6名となった。涸沢小屋を後にして、ガレ場を一歩一歩登り、ザイデングラードの取り付きでこれからのルートを見上げる。壮大な岩場が延々と続く。いきなりクサリとハシゴが現れる。狭い場所で登りも下りも通過に時間がかかり、渋滞が発生するだろう。その後も延々と岩場の急登が続き、みるみる高度を稼ぐ。気が付くと急登も弛み、岩場がいつしかガレ場となり、穂高岳山荘が近づいたのが判る。当初計画通りに13時に穂高岳山荘に到着できた。3000mを初めて登ったK嬢はかなり疲れた様子であったが、達成感がかなりあったのだろうか、目が潤みがちだったように見えた。
登山中は雨が降ったり、晴れ間が出たりと天候が安定しておらず、奥穂高岳登頂が危ぶまれた。小屋で荷を解いたあとも、急な雨が降ったりして、登頂気力が萎えかけたが、空が明るくなってきたので登頂を決行することになった。メンバーはS氏、K氏、K氏の3名。いきなりのハシゴ2個をクリアー、続くクサリ場も難なく通過し、みるみる高度を稼ぎ、下の広場から見ていたメンバーの視界からあっという間に姿が消えた。実はここから先に長い登りが待っていた。先頭のS氏が後ろから急かされる様に早足で登る。後続のK氏2名が離されまいと必死で先頭についていく。3名とも心臓がバクバク、モモの筋肉が悲鳴をあげている。何度か頂点を越え、ようやく奥穂高岳の標識のある頂きに到着した。天候が良ければ360度の眺望が得られ、槍ヶ岳や穂高連峰はもちろん、直ぐ近くに特異な形のジャンダルムや遠く剣岳など素晴らしい景色が得られるのだが、本日はあいにくの天候でガスが発生しており、近場のジャンダルムでさえ、ガスの晴れ間にうっすらと確認できる程度で感激も今一歩だ。でも、お互いに「奥穂高岳 3190m」の標識をバックに登頂記念の撮影=写真左=をして、下山を開始する。途中、登山道を横切るライチョウのペアに遭遇した。頭が赤いのがオスで近寄っても悠然としており、メスはオスのあとに従い、人が近づくと逃げてしまう。最近の下界の風潮とは逆で、何十年か昔の日本の日常を見るようであった。クサリとハシゴを慎重に下って、全員無事下山した。登り30分、下り20分であった。K嬢が差し入れ、K氏が荷揚げしたシャンパンを雪渓の中から取り出し、奥穂高岳登頂の祝杯をあげた。ものすごく冷えており、あっという間にカラ瓶だけが残った。山の上でこれほどおいしい飲み物に出合えるとは思っていなかった。
3日目はK氏とS氏の2名で朝食前に涸沢岳を登頂した。4時30分前にヘッドランプを付けて登頂開始。K氏のペースが速い。15分で頂上へ着く。頂上ではガスが発生しており、やはり眺望は得られなかった。5時5分には小屋に戻った。一方、S氏は小屋前の広場から、ご来光の瞬間を待った。4時55分頃から太陽が常念岳の右側付近に顔をのぞかせ、朝やけが素晴らしい。みるみる昇り10分足らずでご来光ショーの終演だ。
5時からの1回目の朝食組の後、ほとんど並ぶことなくテーブルに案内された。朝食後、出発の支度をしていると雨が降り出し、雨具を着ての出発となった。予報では雨マークはなく、晴れ時々曇りだったのだが、山の天気は「女心と秋の空」と云われるように当てにならないのだ。昨日登ったザイデングラードを慎重に下り始めたころ、見る見るうちに天候が回復し、あっという間に青空が広がり、穂高連峰(前穂高、奥穂高、涸沢岳、北穂高)の山並みがすぐ近くにあり、圧倒される。下を見れば延々と続く涸沢カール雪渓の下部に涸沢ヒュッテが見える。最高の景色が3日目にしてようやく手に入った。ザイデングラードを慎重に下り、続くガレ場を下っていると、下方の雪渓を大勢の猿の群れが横断している。雪渓の真ん中には涸沢ヒュッテからの登山道があり、本日の登山者は「猿との遭遇」に注意が必要だ。
涸沢小屋でO氏とS氏に合流し、8名で本谷橋に向けて出発。途中、S氏が足に張りが出て、ペースを落として、何とか本谷橋までの下りを終えた。この時点で予定時刻を1時間オーバーしていた。ここからはそれほど急な下りがないので、少しペースを上げて横尾山荘を目指す。山荘で今日のこれからの時間配分を見直す。バスを1本遅らせ40分、立ち寄り湯も50分とし30分短縮、バスターミナルでの食事の時間を確保して、徳沢ではソフトクリームを断念(食べた人もいました)、小梨平で入浴し、さっぱりしたあと隣接の食堂で割引の400円の生ビールを1杯頂き、バスターミナルへ。いつものターミナルの2階で食事をとり、17時25分発のバスに乗り込み、新島々で電車に乗り換え、松本に19時12分に到着。9分の待ち合わせで19時21分発の特急あずさ34号に乗車。定刻の22時07分に新宿に到着、ここで解散となった。
ここで、質問が3つ。@奥穂高岳に登った3人は誰か? A先頭のS氏は後ろから急かされた/後方のK氏2名は先頭に遅れまいと必死だった どちらの言い分が妥当か? B涸沢岳に登った2人は誰か? (参考情報:穂高岳山荘で宿泊したのは、加藤氏・鎌田氏・川澄嬢・清水氏・斎藤氏・下田氏の計6名、ヒントは写真館にあり)
2日目の登山途中でザックを2つ背負って頂いた加藤さん、斎藤さん、お疲れ様でした。感謝しております。また、おいしいシャンパンを提供して下さった川澄さんとそれを穂高岳山荘まで背負って頂いた加藤さん、ありがとうございました。
またひとつ登りたい山が増えたようです。いつかは本邦第3位の頂上からの360度の眺望にチャレンジしたいと思います。(SS)
コース記録
<8/5>
新宿7:30発〜(さわやか信州号)〜12:50上高地バスターミナル13:15====14:55徳沢15:05====16:15横尾山荘(泊)
<8/6>
横尾山荘5:50====7:05本谷橋7:20====9:10涸沢10:05====11:15ザイデングラード取付き11:20====13:00穂高岳山荘14:10====14:40奥穂高岳15:05====15:25穂高岳山荘(泊)
<8/7>
穂高岳山荘6:25====8:40涸沢小屋9:00====10:45本谷橋10:55====11:50横尾12:10====13:00徳沢13:05====14:30小梨平(入浴)15:25====15:35上高地バスターミナル17:25〜(バス)〜18:30新島々18:43〜(電車)〜19:12松本19:21〜(特急あずさ34号)〜22:07新宿(解散)